下海上国(しもつうなかみのくに)の古墳◎

神崎町・佐原市西部の古墳 ◎佐原市の古墳 ◎小見川町の古墳 ◎多古町の古墳

 利根川右岸大須賀川と根木名川に挟まれた神崎町から下総町にかけての台地上には,中の城古墳など小型の前方後円墳が散在する。調査された古墳としては,埴輪の出土した船塚原古墳(全長54m)や大日山1号墳(全長54m)など,石製模造品や石枕などの出土した5世紀から6世紀にかけての古墳が造り続けられた。
 大須賀川流域では,台地上には鴇崎天神台古墳や山之辺手ひろがり3号墳など5世紀代の古墳や片野古墳群など6世紀の古墳,平野部の段丘上には,中国南宋時代の画文帯鏡や馬具を出土した禅昌寺山古墳や森戸大法寺古墳などがある。
 佐原市を流れる小野川流域は古墳の数は少なく,仁井宿浅間神社古墳や変電所裏古墳など中規模の前方後円墳がかろうじて知られる。また,又見神社境内の本殿脇には雲母片岩製石室が残っている又見古墳があり,香取神宮から利根川(香取浦)に向かう台地上には神道山古墳群がある。
 小見川町から東庄町にかけては,本地域唯一で最古の前方後方墳,4世紀後半の阿玉台北A−7号墳(全長25.5m)が調査されている。しかしこれに続く古墳は現在のところ不明である。
 利根川右岸の富田地区一之分から三之分にかけての河岸段丘上には5世紀から6世紀の豊浦古墳群がある。特に,三之分大塚山古墳から出土した埴輪は,対岸の常陸国最大の船塚山古墳(全長186m)と共通する特徴をもち,下海上国と常陸国が海上交通を通じて強く結ばれていたことをうかがわせる。
 また,小見川高校,中学校のある城山公園には,6世紀後半の城山古墳群がある。城山1号墳(全長68m)からは,大量の副葬品が出土し,特に中国製の三角縁三神五獣鏡は下総で唯一の出土例である。
 いずれにしてもこの地域は三角縁神獣鏡を配布されるほど畿内王権勢力と強く結びついた有力首長層が,三之分大塚山古墳,富田古墳群,城山古墳群と継続的に築造された地域として注目される。
 九十九里平野の北東にある椿海西岸地域には,前方後円墳9基を含む鏑木古墳群がある。鏑木大神古墳(全長37.2m)やこの地域最大の古墳・御前鬼塚古墳(全長105m)など6世紀後半から末にかけての築造と考えられる。また軟砂岩(飯岡石)の丸石を積んだ横穴式石室の関向古墳,飯塚雉ノ台古墳群などがあった。
 栗山川流域には,上流に柏熊古墳群がある。柏熊8号墳からは有段口縁の壷と埴輪が出土しており,埴輪は房総最古のひとつである。
 中流域には,多古台古墳群,坂並白貝古墳群がある。
 栗山川下流域左岸の光町には前方後円墳6基を含む小川台古墳群がある。
 応神天皇の世に久都伎直を国造に定めたとある。東下総の海上・匝瑳・香取三郡と常陸鹿島郡の南部とを包括する地域を管轄したのであろう。


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