富津市の古墳(内裏塚古墳群)
県内の横穴の4割が集中するこの地域には、高塚古墳がほとんどない。そんな中にあって、能満寺古墳など本県を代表する4世紀代の大規模古墳を訪ねるコース。
東京湾に突き出た富津岬は、東京湾を航行する船の目標で、古くから旧東海道(畿内大和から常陸石岡まで)の房総の玄関口で、畿内中央とのつながりの強い地域だった。 内裏塚古墳群は、5世紀前半から7世紀にかけての古墳群で、前方後円墳11基、方墳5基、円墳12基、墳形不明4基からなる大古墳群で、内裏塚、三条塚、九条塚、 稲荷山古墳など100mを超える大型前方後円墳と1辺45mの方墳・割見塚などを含んでいる。
(青堀駅前古墳) 内房線青堀駅のホームに降り立つと、目の前に上野塚古墳を見ることができる。ロータリを左回りに半周するとコンクリートの擁壁で固められた古墳の後円部の一部だけが残された上野塚古墳の前に着く。日東バス富津火力行きのバス停前。 その壁には陶板が埋め込まれ、内裏塚古墳、九条塚、稲荷山古墳の墳丘実測図や須恵器、土師器などが描かれている。 最も海に近い砂丘列上の帆立貝式の前方後円墳で、駅前再開発の際に調査され、その大部分は削られた。周溝からは古式の土師器と須恵器が出土した。
古墳に埋葬された主もまさか、富津岬に行く潮干狩りの観光客に見られるとは思っていなかったことだろう。青堀駅に止まる内房線は、1時間に1本位なので、木更津駅東口から日東バスで行く方法もある。
上野塚古墳(青堀駅前古墳) 前方後円墳◆5世紀後半◆所在地 富津市大堀字上野◆墳長44.5m◆方位 N-122゜-W◆前方部幅24〜25m 長さ15m◆後円部径32m 高さ4.5m◆ 埋葬施設 ◆出土品 坏蓋◆備考 1981年周溝調査(市教委) 1987年後円部北側(君津郡市文化財センター)
上野塚の脇を通り、東西に走る国道16号に出たら左折し、富津岬の方向にむかう。およそ300m行って、最初の信号のある三叉路から左の県道157号(市役所通り)を大貫、富津市役所方向に向かう。内房線の踏切を越え、およそ250mで東病院前バス停、その先の右に石井電化センター、左の住宅地の先に大きな森が見えてくる。それが、房総最大の古墳・内裏塚。カーブミラーのある所に矢印のある看板と石碑があるのでそこを左折。関東でも群馬県太田天神山古墳、茨城県船塚古墳に次ぐ3番目の大きさ。埴輪を三重にめぐらし、葺石をふき、周溝は水をたたえていた盾形で、後円部墳頂に主軸と平行して2基の竪穴式石室を設けていた。(P. WC. なし)
内裏塚は、海岸から第2列の砂丘列上にあって前方部を南南西に向けた前方後円墳。かっては親王塚などとも呼ばれ、飯野藩主でもその前を通るときは馬から下りたと伝えられている。墳丘の周りをめぐることができる道があり、一周すればその大きさに感激することまちがいなし。 古墳の周囲をじっくり歩いて、今は家が建て込み始め、大部分が埋まってし まった幅約30mほどの周溝を想像してみると、あらためて、その規模の大きさを実感できる。 また、墳丘の盛土部分には、千葉県では珍しく、丸い葺石がふかれている。関西方面に行ったら、神戸市五色塚古墳を見学するとよい。参考となる。 平成8年に飯野地域活性協議会による「飯野ふるさと散歩道」の案内看板が建てられ、歩くのに大いに助かる。
内裏塚古墳 前方後円墳◆5世紀中頃◆所在地 富津市二間塚字東内裏塚1980他◆全長144m◆方位 N-152°-W◆前方部幅88m 高さ11.5m◆後円部径80m 高さ13m◆埋葬施設 竪穴式石室2基(後円部墳頂)(甲)位置 後円部頂 長さ5.75m 高さ0.7〜1.06m 幅0.75〜0.88m 墳丘主軸と平行 遺体2体(縦に並列)、頭位北 (乙)位置(甲)と並列 長さ7.58m 高さ1.18m 幅1.0m 墳丘主軸と平行 遺体推定1体、頭位北◆出土品 (甲)鉄剣2、鉄刀5(小刀1)、鉄鏃、鎌1、釿1(角棒1) (乙)鏡1、鉄剣2、鉄刀5、鉄槍1、鉄鏃、鳴鏑9、金銅製胡 1、釿2、埴輪(円筒・朝顔、器財−蓋、家、人物)◆備考 1906年石室発掘(柴田常恵、小熊吉蔵他)1964年埴輪列調査(本郷高校 坂井利明他)1965年県指定 1982年度測量調査(県教委)1983年周溝確認調査(君津郡市文化財セン ター)1984年・1991年西側周溝一部調査(〃)周溝楯形 前方部東側造出あり
内裏塚古墳墳丘実測図
内裏塚
房総の美人・須恵の珠名
古代房総は、都にも聞こえた美人2人がいたという。万葉歌人で名高い知識人、高橋連虫麻呂が常陸の国に勤務していたときこの伝説を聞き、歌をよんでいる。 一人は市川真間の手児奈で、清純で花のようにほほえんでいたという。もう一人は須恵 の珠奈で、豊満な胸と蜂のように細くしまった腰をした容姿が端正で妖艶な女性であったと伝えられている。内裏塚古墳の後円部墳頂に珠名姫神社があった。大正4年、飯野神社に合祀されたが、今でも嘉永4年(1852)山田重春によってに建てられた珠名塚の碑が残っている。なお、万葉集4,500首のうち房総に関する歌は、46首だという。
珠名塚碑
内裏塚を一周したらもとの市役所通りを大貫方面(南)に。およそ500mでにスーパーマルサン、左に肉屋のある変形十字路の所を左折し、飯野陣屋跡。およそ300m位行くと整備された掘り割の水濠があり、約300m水濠沿いに歩いて溝が切れたところを左折すると飯野神社の参道の前に。鳥居の手前を右折して飯野神社本殿の後ろに回り込むように歩くと、三条塚古墳の散歩道の案内板を見つけることができる。保存状態はよく、周溝と周提帯もきれいに残っている。 内裏塚古墳とほぼ同様の主軸を示すが、前方部が発達し、この古墳群中の大型前方後円墳ではもっとも新しい6世紀後半の古墳。後円部中央に横穴石室の石材が露出している。 この横穴石室は、一部確認のための発掘調査が行われれ、意外と保存状態の良いことがわかった。(P. WC. なし)
三条塚古墳 前方後円墳◆6世紀後半◆所在地 富津市下飯野字三条塚989他◆全長122m◆方位 N-154゜-W◆前方部幅70〜72m 高さ7.2m◆後円部径57m 高さ6.0m◆埋葬施設 横穴式石室(無袖式)、砂岩(自然石乱石積) 床に貝殻、墳丘主軸とほぼ直交、遺体複数◆出土品 鏡1、ガラス小玉2、土製漆塗小玉74、金銅製耳環1、鉄刀1、鉄鏃、鉄釘1、銀製円形飾金具14、須恵器、馬具5◆備考 後円部に比べ前方部の発達が著しく、内裏塚古墳群中の大型前方後円墳では最も新しい形態だと考えられている。1984年墳丘測量調査(県教委)1987年外周溝一部確認調査(県教委)1989年石室一部及び周溝確認調査(君津郡市文化財センター)周溝楯形(二重)
三条塚古墳石室
三条塚古墳墳丘実測図
●寄り道●
飯野陣屋跡…飯野藩2万石、保科氏10代の陣屋跡で、日本3大陣屋(長州徳山、越前敦賀)の一つと言われる。面積約13万2千?。外郭は、高さ2mの土塁と幅5〜6mの水濠で囲まれる。
飯野神社
再び、市役所通りまで戻って、大貫方向に南下する。山王地区まで来ると案内標識があり、共栄ストアーまで来たら、左が九条塚古墳である。 前方部を南に向けた古墳で、今城古墳(継体天皇陵)に形は似ているが、周溝だけは古い形式だという。墳頂部に九条塚の石碑がある。内裏塚古墳群の他の古墳と同様副葬品は多様で金銅装の馬具や金銀装の装身具が出土しているなど、被葬者の権力の強さを推定できよう。出土した遺物は、飯野小学校に保管されている。(P. WC. なし)
金ピカの遺物が出土しており、須恵国を武力で統一した豪族で、県内でも有数の古墳群であるところから他の国にも勢力を伸ばしたのであろうか。この古墳も、他の前方後円墳と同様にマテバシイの灌木(地元ではトウギと呼ばれる)で覆われ、昼なお暗い。盾形の周溝の一部は水をたたえ、墳丘の周りは畑と水田で、外周を一回りすることができる。春先は水草やセリなど緑鮮やかなことだろう。ただ、ここも、現在、区画整理事業が行われており、数年後には様子が一変しているかもしれない。
九条塚古墳 前方後円墳◆6世紀中頃◆所在地 富津市下飯野字九条塚767他◆全長105m◆方位 N-179゜30'-W◆前方部幅69m 高さ7.9m◆後円部径59m 高さ7.0m◆埋葬施設 横穴式石室(後円部東側)長さ7.0m 幅東1.2m・西1.5m 墳丘主軸と直交、自然石乱石積みか◆出土品 水晶切子玉、ガラス小玉、銀製空丸玉、銀製紡錘形空玉、金銅製空丸玉、銅心銀張耳環、金銅装太刀、直刀、鉄鏃、鉄地金銅張胡、金具、雲珠、十字文楕円形鏡板付轡、具芯辻金具、金銅板破片、埴輪(円筒)、外表遺物 葺石、須恵器坏、高坏、脚付直口壷、堤瓶、平瓶◆備考 1910年石室発掘 1983年度墳丘測量(県教委)1989年周溝確認調査(君津郡市文化財センター)1991年西側周濠一部調査 1992年東側周溝確認調査 市史跡 周溝楯形(二重)
九条塚古墳墳丘実測図
九条塚古墳
九条塚を一周すると市役所通りに出て、自動車工場に出る。さらに、南下すると約200mで、君津駅と上総湊、大貫方向に分かれる信号のある変形三叉路がある。直進して、100mで堰端バス停、中村商店のところを富津岬の方へ右折する(下飯野県道158号君津青堀線)。700m位の内房線西川踏切を渡って、さらに700mで左に消防署があり、そこを右折して小道にはいる。側溝のある農道を約300m直進すると稲荷山古墳の森に至る。保存状態はよい。くびれ部へ向ってあぜ道を行くと、左が後円部で、盾形の周溝がきれいに残っている。古墳の主軸は内裏塚古墳とほぼ同様である。(P. WC. なし)
ここも周りは田んぼで、のどかだが、古墳の入口にまむしに注意の看板がある。夏は藪蚊の襲来で、内裏塚古墳群は、いずれも一人では入りたくないが、古墳の教科書、博物館とあってはしょうがないか。 大型前方後円墳の前方部の開き方や後円部との高さの違いなど、古墳の特徴や形の変遷を注意深く観察すれば、きっとあなたも古墳博士になれるかも。
稲荷山古墳 前方後円墳◆6世紀後半◆所在地 富津市青木字稲荷山1145他◆全長106m◆方位 N-144゜30'-W◆前方部幅74m 高さ6.6m◆後円部径47m 高さ6.0m◆埋葬施設 横穴式石室か(後円部南東側)◆出土品 土師器坏1、須恵器片、埴輪(円筒・朝顔)、器財(翳・家)◆備考 1983年度墳丘測量(県教委)1990年周溝確認調査(君津郡市文化財センター)市史跡 周溝楯形
●和菓子「やまちゅう」内裏塚古墳の前。市役所通りの県道沿いにある和菓子屋さん。栗どら焼きなど。
稲荷山古墳墳丘実測図
稲荷山古墳
●味どころ●
九条塚古墳までには、青堀駅前付近に食堂が数軒あるし、お弁当屋さんやコンビニもいくつかあるので困ることはないと思う。 ●中華料理「大公」 0439−87−7183
三条塚古墳から九条塚古墳へ行く市役所通りにある。普通の食堂風で気楽に入れそう。 ●そば処「やまと」 0439−87−7000 AM11〜PM9まで、火曜日休み。 堰端バス停そば。セット物が安くておいしそう。
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