上海上国(かみつうなかみのくに)の古墳
◎市原市姉崎の古墳 ◎市原市国分寺台の古墳
養老川流域の今の市原市の大部分が上海上国にあたると考えられる。右岸と左岸に大別でき,左岸河口付近の姉ヶ崎地区には内裏塚古墳群にも匹敵する大型古墳群・姉崎古墳群が築造されて,上海上国造の首長クラスの古墳が継続的に築かれた。最も古く築造された首長墓は天神山古墳と考えられ,以後,釈迦山古墳−二子塚古墳−山王山古墳−原1号墳−鶴窪古墳−堰頭古墳−六孫王原古墳と4世紀から7世紀までつづく王家の谷とも言える地域である。また今富塚山古墳,海保大塚古墳の大型古墳が低地の沖積地に築かれている。 中流域では,佐是古墳群,吉野古墳群などが牛久地区を中心に築造されている。江古田金環塚古墳(全長47m)からは,f字形鏡板,杏葉などの馬具が出土している。 江古田金環塚(江子田瓢箪塚)は,1963年に調査された。前方後円墳で,全長63m,前方部幅25m,高さ4.5m,後円部径26m,高さ4.5mを測る。 埋葬施設は,後円部墳頂に木棺直葬であった。純金製の耳環2個が出土したことから,金環塚と呼ばれる。 養老川右岸下流域の国分寺台では,神門古墳群,諏訪台古墳群,東関部多古墳群,山倉古墳群など多数の古墳があり,その大部分が調査された。 王賜銘鉄剣出土で話題となった稲荷台1号墳や南向原古墳群などは北部の菊間国造との中間地点にあり,独自の地域圏を形成したのかもしれない。 成武天皇の世に忍立化多比命が国造に定められた。養老川以南の市原市域を支配した。
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