木更津市の古墳(小櫃川下流域左岸の古墳)
残り少ない古墳の踏査。地図を片手に往時に思いをはせる,いわば地理学研修コース。市内の古墳から発見された金鈴や飾太刀など優れた工芸品を見ると,大和政権とのつながりや豊かな経済力がしのばれる。
*西山長須賀からのバスは,本数が少ないので注意。
小櫃川下流域南岸には,6世紀代になると浜長須賀の砂堤上に多くの古墳が造られた。しかし,その多くは明治時代からの,町の発展とともに消えていき,わずかに3基が墳丘の一部を残すだけになった。町中の古墳の宿命かもしれない。やがては,ビルの中に埋没するであろう。今のうちに見学しておきたい古墳である。
稲荷森古墳は,木更津駅東口の北東方向,木更津2丁目の稲荷森神社にある。そこが,前方部のわずかに残った部分である。ごく一部が残存するのみで,周囲がコンクリートで固められ,上に稲荷神社が祭られている。昔の地籍図から推定すると100m以上の古墳であったらしい。明治14年に貸座敷を新設する時に,鈴,鏡の破片,金銅装の刀,土器等が出土したとある。(P. WC. なし)
砂州の上に造られ,周溝もあったようなので,100m位の範囲を歩いて見たが,住宅が立て込んでおり,それらしい形跡は分からなかった。
稲荷森古墳 前方後円墳◆所在地 木更津市木更津2丁目(旧木更津字稲荷森)◆墳長約80m◆方位 ほぼS◆周溝楯形◆出土品 鈴2,※刀2,鏡片1,土器1,長巻きの如きもの1(明治14年貸座敷を新設する際出土したという),金銅 具1,武具残片5,鉄鏃片1◆備考 1881年(又は1907)乱掘※鉄刀…刀身残欠1,金銅鐔1,金銅足金物1対,金銅 1,金銅鐺1,鉄製透鐔残片1
(二子塚古墳) 金鈴塚古墳は,稲荷森古墳から北へ500mにある。全長95mの前方後円墳。現在は,細い小路に,後円部の一部が残る。埋葬施設は横穴式石室で,格子戸を通して内部がよく見える。入口近くに石棺がある。石棺の主は,青年と推定されている。名前の由来は,ここから発見された5個の金鈴による。出土遺物は,鏡や金銅製,銀製など県内屈指。(P. WC. なし)
金鈴塚古墳を見終わったら,推定図を参考に周辺を歩いてみることを勧めたい。金鈴塚の北方には細長く住宅地が続き,周りが田んぼになっている。三浦半島から海を渡って木更津に上陸し,北上する古東海道の要地で,馬来田の国の支配者の墓であり,航行する船の標識の役目をしていたと思われる。 出土遺物で知られるのはかわいらしい金の鈴。博物館に展示され,テープではあるが鈴の音を聞くことこともできる。今と変わらぬ音色が想像され,タイムスリップ。この他に銅鏡やおびただしい数の須恵器や金,銀,錦,瑠璃で飾られたまばゆいばかりの品が埋葬され,県内白眉。大きさでは内裏塚古墳にまけるが,遺物ではまけていない。どのような豪族が埋葬されたのか興味は尽きない。 そういえば,韓国の慶州の天馬塚でみた副葬品との関連を直感していた。
金鈴塚古墳の石室
金鈴塚古墳(二子塚) 前方後円墳◆6世紀後半◆所在地 木更津市長須賀字熊ノ廻430◆全長95m◆方位 N-112゜-W◆前方部幅72m◆後円部径55m◆埋葬施設 横穴式石室(無袖式)全長10.3m 石室主軸ほぼ南北 幅1.5〜2m 組合式箱形石棺(石室内中央西側)内法長1.7m 幅0.6m 深さ0.6m 凝灰質砂岩板材◆出土品 人骨3体,三神五獣鏡1,変形四獣鏡1,玉類,金銅製耳環6(3対),横櫛3片,金鈴5,銀製茄子型垂飾6,宝相華文垂飾具1,環頭大刀7,圭頭大刀3,円頭大刀1,方頭大刀1,頭椎大刀2,鳥首大刀3,銅鋺(承盤付2,高台付),武具、馬具、須恵器、土師器◆備考 1950年石室発掘調査(早大),1950年石室発掘調査(早大),1950年県指定,1959年遺物重要文化財指定
金鈴塚古墳
金鈴塚古墳墳丘実測図
(長州塚) 銚子塚古墳は,金鈴塚古墳のそばの熊野神社のわきの道を2kmほど北上すると,内房線線路際の畑の中に小山になって残っている。円筒埴輪も出土しており,5世紀中ごろの古墳と考えられている。千葉県で第3位の大きな古墳であったが,明治末年の鉄道建設の際,前方部が削り取られ,また戦時中に高射砲指令所が設置され,後円部の中央が大きくえぐられた。(P. WC. なし) 帰りは,国道127号線に出て,徒歩で金鈴塚保存館,県立上総博物館に向かう(約4km)。 なお,国道沿いの西山長須賀バス停から木更津駅東口行きが利用できますが,平日3本/休日2本と少ないので注意すること(日東バス0438−23−0151)。 徒歩の場合,木更津駅入口交差点左折。バスの場合,駅前通り下車。駅とは反対方向に進み,約0.3km。案内板に従って,金鈴塚保存館,県立上総博物館を見学するといい。
墳丘南側に長持形石棺の底石が見られるというが,笹が繁茂していて,発見できなかった。4本の砂堤のうち,一番海岸寄りの砂堤の北の端に築かれている。大阪湾の地形に似ており,現在,水田になっている所が,潟になっていて,港として使われていたかもしれない。そうであれば,この古墳は,船を誘導する目印になっていたことであろう。
高柳銚子塚(長州塚,茶臼塚) 前方後円墳 ◆5世紀◆所在地 木更津市高柳字塚ノ越3298◆全長 不明(110m以上)◆方位 ほぼNW◆埋葬施設 長持形石棺?◆出土品 滑石製模造品6 埴輪(円筒,朝顔)◆備考 後円部の一部のみ残存
高柳銚子塚古墳墳丘実測図
高柳銚子塚古墳
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