栄町の古墳(龍角寺古墳群)

 房総風土記の丘とその周辺に点在する龍角寺古墳群。遊歩道を散策しながら気軽に古墳ウォッチング。古墳学入門コースとして最適。千葉県考古学の情報発信基地。隣接した房総のむらでは昔の生活にタイムスリップ。

●コース

 龍角寺古墳群は、印旛沼と利根川には挟まれた印旛沼を望む海抜約30mの台地上に立地。前方後円墳36基、円墳71基、方墳6基など113基の古墳が林間に点在する県内屈指の古墳群。5世紀末に始まり7世紀前半に至るまで長い間築造され続けた。前方後円墳で最大のものは、浅間山古墳で全長70m。方墳は岩屋古墳が最大で、みそ岩屋古墳がそれに次ぐ。これらの中で特に注目されるのが岩屋古墳である。全国的に見ても最大級。6世紀後半、この地域に台頭してきた豪族が勢力を伸ばし、7世紀前半に築造したものと考えられている。ここから直線で北約1.5kmに7世紀後半に創建されたとされる竜角寺があり、それらの関連性は考古学上の謎。

みそ岩屋古墳(106号墳)

 JR成田駅西口で千葉交通(0476−22−0783)バス、竜角寺台車庫行き(約1本/1時間)に乗車、竜角寺台2丁目下車。安食方面に約10分、房総のむらを目指す。JR安食駅からは竜角寺台車庫行き(約2本/1時間)に乗り、房総の村下車。
 房総のむら入口を右に見ながら舗装道路を約150m進んだ道のすぐ左奥。岩屋古墳の小型版なのでこのように呼ばれている。古墳の南東斜面に貝化石を含む切石を積んだ全長4.35mの横穴式石室が開口。古墳の周囲には5〜6mの周溝がめぐる。(P. WC. なし)

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  下草が多いので、足元に注意。石室は長い年月の間に石組みに緩みが出て危険なので、内部には入らないこと。
 なお、古墳手前の直径3〜5m程の土まんじゅうは、竜角寺旧参道の塚群で、風土記の丘園内ではたくさん見ることができます。供養のための塚群と思われます。


みそ岩屋古墳(龍角寺106号墳) 方墳◆所在地 栄町竜角寺字大畑◆一辺35m◆埋葬施設 横穴式石室




みそ岩屋古墳

岩屋古墳

 みそ岩屋古墳から舗装道路に戻り、左に約400m行くと、岩屋古墳への入口が左に見えてくる。栗林を抜けると大きなピラミッド状の一辺約80mの日本最大規模の方墳が目に飛び込む。高さは12m、周溝がくぼみとなっている。推古天皇陵は75m×100mで、これに匹敵する。古墳南面に貝化石を含む凝灰質砂岩の切石を積んだ2基の横穴式石室が開口する。墳丘はきれいな3段築成。国指定史跡。(P. WC. なし)

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  はるか1300年の昔、畿内の天皇陵をも上回る方墳を造ることのできた豪族とは誰であったのか、また、何がそれだけの富を与えたのかと思いが膨らむ。
 7世紀後半に創建された竜角寺との関係から、中央との有力豪族(蘇我氏一族)との結び付きが強かったことがうかがえる。


岩屋古墳(龍角寺105号墳) 方墳◆7世紀前半◆所在地 栄町竜角寺字大畑◆一辺80m 高さ12.4m 三段築成 墳頂平坦面17×19m◆埋葬施設 横穴式石室2 東石室(全長6.45m 両袖式 玄室長5m 奥壁幅2.41m 中央部幅1.64m 玄門部幅1.14m 高さ3m前後) 西石室(全長4.8m 両袖式 玄室長4.18m 奥壁幅1.64m 玄門部幅1.38m 高さ2.2m前後)◆備考 江戸時代以前から開口 国指定史跡 1970年測量調査




岩屋古墳墳丘実測図


岩屋古墳

龍角寺101号墳

 旧学習院初等科正堂の白い建物を目指す。その右を通り、広場の右奥に向かうと案内板が立っており、墳丘や周溝を古墳築造当時の姿に復元した101号墳が見えてくる。後に円墳を改変し、前方部を造り出した全長約30.5mの帆立貝形の古墳。(P. WC. あり)


旧学習院初等科正堂

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 この古墳は、調査成果をもとに、墳丘及び埴輪群を築造当初のままに復元したもので、古墳時代人々の見た古墳のようすがよく分かります。
埴輪は、本物より少し小さく作られた強化プラスチック(ERP)製だそうです。
 人物埴輪の顔、馬形埴輪の姿…。博物館の展示ケースでは見られない生々としたものと思えませんか。埋葬の儀式が行われた時には荘厳に見えたでしょう。


101号墳

龍角寺101号墳 前方後円墳(帆立貝形)◆6世紀前半◆所在地 成田市大竹字申内1451-6◆全長30.5m 高さ3.6m◆埋葬施設 第1主体部 木棺直葬 第2主体部 箱形石棺(長さ2.1m 幅1.8m 深さ0.75〜1m)第3主体部 箱形石棺(長さ3.1m 幅2.2m 高さ0.6〜1m)第4主体部 箱形石棺(長さ約3m 幅約2.5m 高さ0.6〜1.5m)◆出土品 埴輪 (円筒、朝顔、人物、馬3、鹿1、犬2、水鳥2、猪1)、直刀10、刀子4、鉄鏃22、轡1、兵庫鎖3、辻金具1、金銅製耳環4、管玉3、須恵器◆備考 1981年調査

 

 

寄り道

●房総風土記の丘資料館 千葉県内各地から出土した考古資料を収蔵、展示。古い時代の千葉県に巡り合うことができる。
 なお、2階展示室にあるナウマン象の骨格標本は、日本で始めて復元されたもの。0476−95−3126、月曜休館、無料。


房総風土記の丘資料館

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  房総風土記の丘は整備が行き届いており、気軽に観察できる。32haの広大な敷地に、龍角寺古墳群に含まれる78基の古墳が保存されている。自然の中を散策しながら、房総の古代に思いを巡らすことができる。季節によっては桜、ツツジが来訪者を歓迎。古墳は、資料館の休館日でも史跡公園として散策できる。遊歩道からはるかに印旛沼が望め、東方向の空には新東京国際空港を離着陸する飛行機の機影が遠望できる。古代と未来を対比できる場所でもある。トイレ、駐車場は完備しているが、周辺に食堂はないので各自昼食の用意をすること。

●房総のむら 大木戸をくぐるとすぐ左手に、江戸時代末の町並みが目に飛び込んでくる。店先ではさまざまな手仕事を体験することができる。ほかにも武家屋敷や農家が復元されている。19haにのぼる巨大なレプリカ。0476−95−3333、月曜休館、無料。


房総のむら

 

 

浅間山古墳

 旧学習院初等科正堂から旧平野家、旧御子神家住宅を左に見ながら、房総風土記の丘資料館に向かう。資料館横の白鳳の道を通って1.5km。県道成田安食線バイパス下のトンネルを抜けた左前方の台地にある。全長70m。竜角寺古墳群中最大の前方後円墳で、後世に改変を受けているものの、ほぼ原形をとどめている。後円部南西面には県下最大の長さ7mの横穴式石室がある。(P. WC. なし)
 ここから直接帰る場合は、来た道を途中まで戻り、県道に出て風土記の丘北口バス停からJR安食駅に向かう。時間の余裕があれば、白鳳の道を北に進んだ先にある竜角寺を見学するとよい。


浅間山古墳墳丘実測図

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  横穴式石室は埋め戻されて残念ながら見学できない。古墳は私有地なので、見学するときには、迷惑をかけないよう注意すること。白鳳の道は竜角寺から真っすぐ伸びる。当時からあったのであろうか。県道成田安食線バイパスと風土記の丘の西側入口の交差する辺りには埴生郡の役所があったらしい(埴生郡衙推定地、大畑1遺跡)。古代を体感するには十分な所である。
 岩屋古墳を築造した豪族、龍角寺を創建した豪族、それらの関係はどうであったのか。白鳳の道を歩きながら考えよう。答は足元にあるかも。


浅間山古墳

浅間山古墳(龍角寺111号墳) 前方後円墳◆7世紀初頭◆所在地 栄町竜角寺字大畑◆全長70m◆方位 N-129°-W◆前方部幅48m 高さ7m◆後円部径45m 高さ7m◆埋葬施設 横穴式石室 両袖式◆備考 1996年調査

 

見どころ

●竜角寺 7世紀後半に、この地域の豪族が仏教を取り入れて「氏族の寺」として創建したもので、東国でも最古級の寺院。本尊の薬師如来座像(国重文)は、東京都調布市深大寺の釈迦如来座像とともに、白鳳仏として著名。元禄年間の火災によって体部をなくし、頸部から下は江戸時代のもの。創建当時の伽藍配置は法起寺式で、東に塔、西に金堂が並ぶ壮大なものであった。(交通)JR安食駅から千葉交通バス竜角寺台車庫行きで酒直坂上下車、徒歩約15分。


 

竜角寺伝説

  三重の塔の心礎礎石は「不増不滅の石」といわれている。これは心礎中央の大きな穴にた
まった水がどんなに大雨が降っても増えることがなく、夏の日照りが続いても枯れることがなかったことに由来する。また竜角寺には竜神伝説がある。ある大かんばつのおり、釈命上人が雨ごい祈とうを行うと、一人の男が小竜となって天に昇り、七日七夜雨を降らせた。その後、大竜の怒りに触れて身を三つに切られた小竜の頭が当地に落ちたことから、寺の名を竜角寺に改めたといわれている。ちなみに竜腹寺(本埜村)、竜尾寺(八日市場市)にも竜神伝説がある。


竜角寺三重の塔心礎

 

寄り道

●上福田岩屋古墳 下総松崎駅から北東に向かって進み、関東ふれあいの道の指導標識に従わず、舗装道路を直進して台地に上り、交差点を右折する。駅から1km。一辺約30mの方墳。横穴式石室は、貝化石を含む凝灰質砂岩の切石を積んだもので、玄室と羨道がT字形につながったT字形を呈す。良質な石材の少ない房総独特の石室構造。時期は未調査のため特定できないが、7世紀代。
 見学後、風土記の丘へは道路に出て、交差点まで戻り、そのまま直進する。
 ガイドブック紹介のルートの場合、時間があれば学習院初等科正堂前から廻り道し、見学するとよい。


上福田古墳

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  上福田岩屋古墳の石室は中に入ることができる数少ないもの。懐中電灯を片手に黄泉の国を探険できる。

 


上福田岩屋古墳石室


上福田13号墳

 成田西陵高校をめざして進み、校庭近くの細い道を左折する。成田安食バイパスをまたぐ八生大橋を渡った右手の山林中にある。

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 車でバイパスを走っている時には、崖の上に古墳があるので、気が付かずに通り過ぎてしまう。



上福田13号墳 方墳◆7世紀末◆所在地 成田市下福田字君作◆一辺16m 高さ約2m◆埋葬施設 横穴式石室(両袖式)◆長さ4.6m 玄室長3.3m 幅1.8m 高さ1.8m◆備考 二重周溝。石室の石材は貝化石を含む砂岩。前庭部から墓前祭に伴う土器出土


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