神崎町・佐原市西部の古墳(利根川下流域の古墳)
利根川右岸台地の前方後円墳を巡る。こうざき自然遊歩道を散策し,台地の古墳をみた後,佐原市郊外利根川と大須賀川が合流する付近の低地にある古墳を探訪するコ−ス。
神崎町の古墳は,利根川が湾入する台地に沿って築かれており,その中で最も規模の大きな古墳が中の城古墳である。佐原市の西端の大須賀川右岸には数多くの古墳がある。4世紀前半から5世紀後半まで方墳が築造されていたが,4世紀末になると大戸天神台古墳群に全長60mの天神台古墳などの典型的な前方後円墳が現われ5世紀後半には森戸権現塚古墳や森戸大法寺古墳,禅昌寺山古墳など,低地に進出する古墳もみられるようになる。
(神宮寺寺山古墳) 下総神崎駅前の交差点を左折して約1km。田圃の中を歩いて神宮寺へ。古墳は台地上。急坂を上り,しばらく行くと畑地へ出る。この先の山林が中の城古墳。前方後円墳で,前方部は西側。古墳の西側にはふれあいの広場があり,ベンチやあずま屋がある。(P. WC. 神宮寺境内にあり) ここから,こうざき自然遊歩道が神崎少年自然の家に続くので,逆ルートも考えられる。敷地内に県指定西ノ城貝塚,南側には夏母古墳がある。 帰りは来た道をJR神崎駅まで戻り,成田線の下りに乗る。
神宮寺
神宮寺からの坂道は赤土の急な上り坂なので,注意して歩こう。立ち止まって,振り返ると見えるのは水田と遠方の台地だけだが,水田からの涼風が気持ちいい。中の城古墳の墳丘は,ケヤキや杉に覆われて,雑草が茂っているので,思うように歩けない。周辺の畑には,埴輪片も落ちている。こうざき自然遊歩道は,途中に池があり,鯉もいたり,全コース歩いても1kmくらいで家族向き。時間があれば神崎神社へ。 神宮寺は,神崎神社の別当寺として創建された。当寺に所蔵されている大般若経は,600巻の内60巻を欠くだけで大部分が残されており,県指定文化財。
中の城古墳
中の城古墳(神宮寺寺山古墳) 前方後円墳 ◆所在地 神崎町並木中の城◆方位 ほぼNW◆埋葬施設 不明◆出土品 埴輪(円筒)
●西ノ城貝塚 縄文時代早期初頭のわが国で最も古い貝塚。淡水と海水の接する地点に生息するヤマトシジミを主とする径20mの貝塚。県指定史跡。貝層断面,竪穴住居跡が観察できる。「神崎青年の家」正面玄関の右手。
●神崎大クス(神崎町神崎神社敷地内) 主幹は,明治40年の社殿火災で焼失したため,7mほどで切断。根元から5本のひこばえが親木を取り囲み,大きなもので樹高約19mになっている。水戸黄門がナンジャモンジャと名付けたとの言い伝えがある。国指定天然記念物。神崎神社の森は,利根河畔を望む独立丘陵上に所在する神崎神社の社叢として,県指定天然記念物。
西ノ城貝塚
●宗吾旧宅 木内惣五郎は,印旛郡山武郡にまたがる389カ村の総代名主で, 父理左衛門の名跡を継いで,公津村の名主となった。重税にあえぐ農民救済のため,承応元年(1652)12月20日直訴を決行し,翌年8月3日に4人の子供は斬首,本人ははりつけとなった。宝暦2年(1752)の百年忌に領主堀田相模守正亮により「宗吾道閑居士」の法号を贈られた。旧宅には「徳満院涼風道閑居士」の位牌や,古文書が保管されている。
神崎神社
大戸駅で下車して北方向に徒歩5分。大須賀川に架けられた新宿橋を渡って,堤防上の道を左に入ると,そこが禅昌寺。その境内に全長約60mの前方後円墳があったが,今は寺の裏側に墳丘の一部が残り,祠と鳥居がある。石枕が出土。(P. WC. なし)
昭和46年に土砂採取のために半壊した禅昌寺山古墳から出土した石枕には赤の顔料が塗られていたという。赤色は朱で硫化水銀。水銀の殺菌力を利用した防腐剤として,また,赤い色は血の色でもあり,霊力があるとも考えられ,死者の再生の願いが込められていたのであろう。
禅昌寺山古墳
禅昌寺山古墳 前方後円墳◆所在地 佐原市 大戸川字中宿◆全長60m(推定)◆方位 ほぼW◆出土品 獣帯鏡,石枕1,石製模造品,直刀3,鉄鉾1,鉄鏃26,衝角付冑,挂甲小札,f字形鏡板付轡,剣菱形杏葉,馬鐸,埴輪(円筒)
国道356号に出て,佐原市方面へ向かってバス停「森戸上宿」の先50mを左に入る。大法寺境内にあるのが全長約60mの前方後円墳,森戸大法寺古墳。後円部のみを残す。墳頂に祠があり,以前は供養塚と考えられていたが,調査で埴輪を持つ古墳の結果あることが確認された。(P. WC. なし) 帰りは,大戸駅へ戻るか,森戸上宿から千葉交通バス佐原行きバス(7本/日)で佐原駅へ。休日運休があるので注意。
竹林になっているので遠くからでも分かる。時間と元気のある人には,JR越し約800mの東南方向の台地に,前方後円墳3基,円墳13基からなる玉造古墳群がある。
森戸大法寺古墳
森戸大法寺古墳 前方後円墳◆所在地 佐原市森戸字上宿◆全長60m◆方位 ほぼW◆埋葬施設 不明◆出土品 埴輪(円筒)
下総町立歴史民俗資料館
利根川下流域,古代の香取の海沿岸には,玉造(作り)の地名がいくつか見られる。海を使って重い石材を常陸の国(茨城)などから運び,古墳時代の祭りの道具を作る玉作りの技術者集団が多くいたのであろう。その古代の名残が地名として現在まで残っている。 碧玉による管玉や滑石による勾玉,剣,鏡などのミニチュア(石製模造品)を作った遺跡がこの地域には特に多く残されている。 また,石枕の出土数は,千葉県が全国の半数以上を占めている。 安眠と夢を誘う枕は,神の霊が宿る「真座」に語源があるとされ,頭部が特別重要な部分であったと言える。
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