武社国(むさのくに)の古墳
◎松尾町・横芝町の古墳 ◎成東町・山武町の古墳 ◎成東町の古墳
山武郡の北部には,東から木戸川,境川,作田川(成東川)があり,いずれも30〜40mの下総台地を開析して北総地方独特の景観である樹枝状の谷津水田が形成されている。 これを見下ろす台地の先端部付近に大小の古墳が切れ間なく築かれている。その数は800基以上もある。 木戸川流域には北から芝山町山田宝馬古墳群(宝馬にわとり塚古墳),小池船塚古墳群,横芝町中台古墳群(殿塚・姫塚古墳),松尾町大塚古墳群(松尾姫塚大塚古墳),蕪木古墳群(朝日ノ岡古墳・蕪木5号墳),大堤古墳群(大堤権現塚古墳)などがある。とくに山田・宝馬古墳群は,総数200基以上の大古墳群で,平坦な場所を探すのが困難なくらい,小古墳が密集していたといわれている。しかし,戦前戦後期の食糧増産による山林の開墾のため,その多くは調査もされずに失われてしまった。また,松尾町の姫塚大塚古墳は径65mの円墳で,県内最大の円墳である。 境川流域では,上流から山武町埴谷古墳群,諸木内古墳群,胡摩手台古墳群(胡摩手台16号墳),根崎古墳群,麻生新田古墳群(カブト塚古墳),成東町真行寺古墳群(経僧塚古墳)などがある。 作田川流域では,北から山武町武勝古墳群,森台古墳群,成東町板附古墳群(駄ノ塚古墳,不動塚古墳,西ノ台古墳),湯坂古墳群などがある。県内第2の大きさの方墳,駄ノ塚古墳と大型前方後円墳である不動塚古墳と西ノ台古墳などからなる板附古墳群は,古墳時代後期から終末にかけての房総における首長クラスの古墳の終焉をよく示している。 そのいずれもが6世紀半ばから7世紀前半の古墳で,南北に細長い台地に連続的にかつ集中して築造されている。近年,嶋戸境1号墳や森台古墳など4世紀・5世紀の古墳と思われるものも調査,発見されてはいるが,他の国造地域と比べると後期古墳の爆発的とも言える増加は,武社の国の特異性をうかがわせるものである。 また,武社の国には埴輪を古墳の周りに立てたものも,県内の4分の1を占める。特に人物埴輪などの形象埴輪は,大型で写実的なことも特徴である。 成武天皇の世に,彦忍人命が国造に定められた。和迩氏一族の牟邪臣が活動していた現在の芝山・横芝・松尾・山武・成東町一帯を支配し,のちの武射郡となる地域である。
山田・宝馬188号墳出土人物埴輪
「松尾町・横芝町の古墳」のページへ