市原市国分寺台の古墳(養老川下流域右岸の古墳)
市原市役所を起点としたこのコースは,上総の国の中心となった上総国分僧寺,国分尼寺が造営された地域で,東国で最古の古墳の一つである神門古墳や「王賜」銘鉄剣で話題となった稲荷台1号墳など興味つきない。古代ファン必見のコース。
この地域は養老川の右岸で,国分寺台古墳群や諏訪台古墳群,神門古墳群など数多くの古墳群があったが,宅地造成に伴って発掘調査され,保存古墳は公園として宅地のなかにわずかに点在するだけとなった。稲荷台1号墳は,「王賜」銘という銀象嵌の施された鉄剣が出土したことで一躍全国的に知られた。この古墳の主は,鉄剣の他に鉄鏃,短甲などが出土していることから,畿内と関係のある武人と考えられている。また,出現期の古墳として知られる神門古墳からは畿内,北陸,東海の様相をもった土器群が出土していて,この地域の豪族がそれらの地域と行き来していたことが分かる。 奈良時代になると,この地域には場所は特定されていないが,国府が所在しており,上総国の中心であった。上総国分寺は礎石から当時の面影を知ることができる。
五井駅から小湊鉄道バス国分寺台または市役所循環等にて,市役所で下車。その先の交差点を左折(国分寺通り)して, 標識に従って市役所の裏手へ。徒歩約10分。国分寺は,今から1250年ほど前の奈良時代中頃,国の平和と繁栄を祈るため,全国60か所余りに建てられた僧寺と尼寺からなる国立寺院。 上総国分尼寺跡は上総国分寺跡から北東1.5kmの台地上に立地する。寺域は南北約372m,東西約285mの長方形。昭和43〜45年の発掘調査で講堂,中門が確認された。史跡の整備が進められ,復元された中門,回廊をみることができる。(P. WC. あり)
復元された国分尼寺
●国分尼寺展示館 ジオラマを見ながら,国分僧寺,尼寺の歴史を学びたい。その後は,見事に復元された尼寺の回廊と中門を見学しよう。朱塗りの回廊は,往時の雅と荘厳さを充分に味わうことができる。0436−21−7633,月曜祝日休館,無料。
姉崎神社
国分尼寺見学後,国分寺通りに出て約1km北へ進み,稲荷台通りと交差したら,その左手が日本中の考古学ファンの話題をさらった「王賜」銘鉄剣の出土した稲荷台1号墳を記念して造られた稲荷台古墳記念公園。古墳が復元され,説明板が設置されている。 稲荷台1号墳は昭和51〜52年に調査された直径27mの円墳,5世紀中頃から後半に造られたもの。(P. WC. なし)
復元古墳であり,本物でないのが残念。「王賜」銘鉄剣が出土しなければ,ただの小さな古墳で済まされていたろう。遺物一つで古墳の評価も変わる。埋蔵文化財の埋蔵文化財たる所以か。 「王賜」銘鉄剣は,市原市埋蔵文化財センターに展示されている。長さ数10cmで以外と小さなものであるが,わずか2文字が確認されたことで,多くのことが分かった。他に類例がでたら…。
昭和62年,X線投射中に銀象嵌の銘文が確認された。畿内の大王が当地の豪族に下賜されたものと考えられる。 (表)「王賜・・敬安」(王・・ヲ賜ウ敬ンデ安ゼヨ) (裏)「此廷刀・・・」(此ノ廷刀ハ・・・) 今のところ「王」とはだれなのか,だれに下賜されたのかなど詳しいことは不明である。 なお,象嵌とは,金属の材料に文様などをほりくぼめて,金や銀をはめ込む技術。
●市原市埋蔵文化財調査センター 稲荷台古墳を見学後,国道297号に出て、左手へ。標識に従って、市原中学校前を通って、中央武道館の裏手へ。「王賜」銘鉄剣や市原市内から出土した遺物を展示。0436−41−9000,祝日休館,無料。
市原市埋蔵文化財調査センター
稲荷台1号墳 円墳◆5世紀中頃〜後半◆所在地 市原市山田橋字稲荷台49◆直径27(27.5)m 高さ2.2m◆埋葬施設 木棺直葬2基(墳頂部)◆出土品 鉄剣3,短甲,鉄鏃,刀子,大刀,胡録,きさげ状工具,砥石,須恵器,土師器◆備考 (王賜銘,剣)1976〜1977年稲荷台古墳群調査(上総国分寺台遺跡調査団 滝口宏)
国分寺通りを戻って,市原市役所を通り過ぎて,国分寺台中学校の角の交差点を左折する。神門5号墳まで徒歩約20分。5号墳は市指定の全長38.5m,高さ5mのいちじく形の前方後円墳で,3世紀後半に築造されたもの。定型化した前方後円墳に先駆けて登場した墳墓で,本県はもとより全国的にみても,古い段階のもので,発生期古墳を知る上で貴重。なお,4号墳は全長49mの前方後円墳,3号墳は全長47.5mの前方後円墳で,神門5→4→3号墳の順で築造された。 帰りは,国分寺跡を見学して,市役所通りにでて,国分寺入口又は市役所バス停からJR五井駅へ。
神門5号墳
神門3号墳 長円形(前方後円墳?)◆3世紀 ◆所在地 市原市惣社字塚越936他◆全長47.5m◆方位 N-117゜-W◆後円部高さ5.1m 径34.0m◆前方部幅12m以上 長さ15m以上◆埋葬施設 木棺直葬(組合式箱形木棺) 長さ3.82m 幅0.94〜1.00m 位置後円部中央,墳丘主軸とほぼ平行◆出土品 鉄剣1,鉄槍1,管玉11,ヤリガンナ1,ガラス玉103,鉄鏃2,棺外より管玉2,外表遺物,土師器(手焙1,壷6,坏3,椀1)◆備考 墓抗長4.12m,幅1.2〜1.3m 1987年4月1日〜1988年1月14日調査 神門4号墳 長円形(前方後円墳?)◆3世紀 ◆所在地 市原市惣社字塚越◆全長49m◆方位 N-123゜-W◆高さ6.9m 後円部径34m◆前方部幅14m 長さ16m◆埋葬施設 木棺直葬 墳丘主軸と斜交◆出土品 鉄剣1,鉄槍1,ヤリガンナ1,鉄鏃41,勾玉3,管玉73以上,ガラス玉420以上,土器150以上◆備考 1976年調査 神門5号墳 長円形◆3世紀◆所在地 市原市惣社字神門◆全長38.5m 高さ3.2m◆埋葬施設 木棺直葬◆出土品 鉄剣1,鉄鏃2,ガラス玉6,土器13以上◆備考 市指定
神門4号墳墳丘実測図
●上総国分僧寺 市原市民会館の裏手,現国分寺はその一部。天平年間に聖武天皇により全国60余国に建立されたうちの一つであり,天平13年(741)直後に建立された。寺域は南北約490m,東西325mで,長方形が重なった形をしている。塔は七重で,高さは63m以上もあり,大きな礎石が往時をしのぶ。
上総国分僧寺跡
市役所ロビーの七重塔模型
●国分寺通りと大多喜街道の交差する辺りにはラーメン,焼肉店等がある。そばではと言う方には「そば処やかみ」,信州そばの「蔵よし」などがある。ひと休みというのなら,国分寺通りにある紅茶専門店「ホワイトコスモス」がお薦め。
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