君津市久留里の古墳(小櫃川中流域の古墳)
壬申の乱に敗れた悲運の大友皇子(弘文天皇)の伝説の関連地名を各所に残す小櫃川中流域の前期大型古墳を歩くコース。白山神社とのどかな田園風景の中を歩いた後は、久留里城下の名水巡りと房総の山々を望む久留里城へ。
小櫃川が大きく蛇行して、山間部としては比較的大きな平野に数多くの古墳があり、それを望む細長い丘陵上には、前期の大型前方後円墳3基(白山神社古墳、箕輪浅間山古墳、飯籠塚古墳)に代表される古墳群が続く。古墳時代を通して古墳が造られたようで、独自の支配領域を形成していた。
(小櫃山古墳、丸山古墳) 内房線木更津駅から久留里線の一両編成のかわいい電車に乗り換え、8つ目の小櫃駅で下車。(駅にP. WC. あり) 駅前に出ると、国道410号(通称久留里街道)が見えるので、右折して久留里の方向へ進む。小櫃川の支流であるお腹川橋を渡ると、小櫃小学校の横断陸橋。この間約1km。横断陸橋をくぐると自動車修理工場があり、その先にコンクリート製の大きな鳥居がある。これが白山神社で、山門、本殿まで進むと、そのわきに大きな前方後円墳がある。(神社にP. WC. あり) 全長89mの前方後円墳。大きなシイの木とツバキのうっそうとした社林によって守られている。古墳の周りを一回りすることができる。細長く、低い前方部は、前期古墳の形をよく残している。 後円部の後方にある円墳は明治時代に調査され、海獣葡萄鏡などが出土している。出土品は、久留里城址資料館に展示されている。
国道410号線は、通称ダンプ街道とも呼ばれるほど通行量が多い。夏には、鴨川方面への観光客も加わり、渋滞を覚悟して。歩道もない所が大部分なので、気を付けて歩きましょう。
白山神社古墳 前方後円墳◆4世紀◆所在地 君津市俵田字天神台1452◆全長 89m◆方位 ほぼW◆前方部幅37m 高さ7.5m◆後円部径52m 高さ11m◆埋葬施設 不明◆出土品 不明◆備考 1990年県教育委測量調査、1981年県指定
白山神社古墳
白山神社古墳墳丘実測図
小橿駅
白山神社
白山神社…旧小櫃村の鎮守で、元は田原神社といったが、明治になって白山神社と改称した。菊理媛命と大友皇子(弘文天皇)を祀る。祭礼は9月29日である。なお、弘文天皇は、明治3年まで歴代の天皇の中には入っていなかった。
大友皇子(弘文天皇)伝説
古くから、この地は、壬申の乱に敗れ、近江の長等山の山前で亡くなったことになっている大友の皇子が、実は、ひそかに東国に逃れて望陀郡田原郷に城を築き、君臣ともにこの地で大和の軍と再び戦い敗れ、自刃した地であるとの伝説が残っている。そして、その御陵が白山神社古墳であり、御魂は白山神社に奉祀したと言い伝えられている。
白山神社を出て、左、久留里方面に向かい100mで、ガソリンスタンドを左折。田んぼと久留里線を右に見て山裾を約1km歩き、小さな集落を抜けて台地の端の見晴らしのいい場所に出ると、左に浅間神社の急な石段にたどり着く。石段を上りきると木造の本殿があり、そこが箕輪浅間山古墳。前方後円墳であるが、尾根の先端部の地形をそのまま利用しているので古墳の形はあまり明瞭ではない。 帰りは、俵田駅へ出て、久留里線に乗り、隣の久留里駅に行くか、健脚の人はそのまま久留里の町へ国道410号を歩くといい。(P. WC. なし)
石段が急なので、息が切れないようにがんばって。
箕輪浅間神社古墳(上新田1号墳) 前方後円墳◆所在地 君津市上新田字出崎456◆全長105m?◆方位 ほぼS◆前方部幅43m◆後円部径65m 高さ7m◆埋葬施設 不明◆出土品 不明◆備考 地山整形と考えられ、輪郭不明 瞭。後円部は神社社殿建立により上部が削られている。
久留里城
久留里の名水
久留里城資料館
久留里の名水(酒屋)
名水めぐり…久留里は、黒田藩3万石の城下町、国道140号の市街地は通行量が多く、城下町の落ち着いたたたずまいは少ないものの、武家屋敷風の建物や道のつくりにその面影を残している。久留里駅を出て国道に出たら、右折して商店街をゆっくり歩くと、上総堀りによる名水が自噴している水場にいくつも出合う。甘露を楽しみ、造り酒屋などをのぞき、久留里城を目指そう。
久留里城…平将門の三男頼胤が築いたといわれ、築城中3日に1日と雨が多く降ったことから別名雨城とも呼ばれている。本丸跡に建てられた城の天守閣からの眺望はすばらしく、桜と新緑、そして遅い紅葉の時期は特に最高。10月下旬には久留里城祭り。
久留里城址資料館…二の丸跡に建てられた博物館で、考古資料や里見、土屋、黒田家の450年にわたる久留里城の歴史や土屋家の家臣で、後に幕府に仕えた新井白石に関する史料を展示。車利用の場合は、下の駐車場から少し歩く。0439−27−3478、月曜休館、無料。(P. WC. あり)
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