小櫃川流域は,古墳の分布の密度も高く,大型古墳も多い地域である。 現在の君津市小櫃地区,久留里地区にあたる小櫃川中流域には,独特の古墳地域圏を形成している。左岸戸崎地区は戸崎古墳群を中心とした密集地域で,岩出地区丘陵縁辺部には飯籠塚古墳(全長105m)があり,前方部は狭長で開きの少ない柄鏡型で,後円部より7m低い前期古墳である。 中流域右岸にある館之内古墳群中の白山神社古墳は,飯籠古墳より前方部がやや広い。上新田古墳群中の箕輪浅間神社古墳とともに4世紀の前期古墳である。白山神社古墳の後円部後方の円墳が明治時代に調査され,海獣葡萄鏡,直刀などが出土し,久留里城址資料館に展示されている。 小櫃川下流域南岸は,古墳の最も多い地域である。河口部の沖積地の砂丘列上には馬来田国造の首長系の古墳と思われる大型の古墳が認められる。高柳銚子塚古墳,長須賀丸山古墳,金鈴塚古墳,稲荷森古墳,祇園大塚古墳などがそれであろうか。 木更津市街地の中心部にあったこれらの古墳群を総称して,地名から長須賀古墳群と命名されることもあった。何条にも連なる砂丘列の微高地上にあった多数の大古墳は,明治からの開発などによって今はその位置すら確認できないものもあるが,東京湾を航行するランドマークの役割を果たしたことであろう。 丘陵上には,高千穂古墳群,前方後方墳,方墳からなる群集型の前期古墳である滝ノ口向台古墳群,大竹古墳群などがある。 また,矢那川流域には,太田山古墳,鳥越古墳があり,鳥越古墳は調査の結果全長25mの方墳で方格規矩鏡や臼と杵の石製模造品などが出土した5世紀前半の古墳であった。 請西地区は,高部古墳群,塚原古墳群,請西古墳群からなる大古墳群があり,高部古墳からは手あぶり形土器や鏡などが出土した。 請西地区の古墳群は弥生時代後期の3世紀から8世紀までの墳墓の変遷をたどることのできる地区であるが,区画整理事業により調査後削平されたものが多いのは残念なことである。 下流域北岸は今の袖ヶ浦市域であるが,前方後円墳が少なく,円墳のみによって構成される古墳群が多い。沖積地に面した東西に延びる台地の南縁部にそって築造されている。 海岸線に面した最西端の独立丘陵上の台地先端部にある坂戸神社古墳は前期古墳の特徴を示し,その東には,二段築成の大型円墳である率土神社南古墳,お紬塚古墳などがある。袖ヶ浦台地西部では埴輪を有する古墳が5世紀後半以降継続的に認められる。 なお,小糸川と小櫃川の中間の小浜,畑沢地区では三角縁神獣鏡などを出土した手古塚古墳(消滅),俵ケ谷古墳群をあげておきたい。 また,内裏塚古墳に形象,円筒埴輪を供給した畑沢埴輪窯跡は,成田市公津原埴輪窯跡とともに,県内では現在のところ他にない埴輪窯跡であったが,調査後,削平された。 成武天皇の世に深河意弥命が国造に定められた。現在の君津市北部,木更津市,袖ヶ浦市が馬来田国の範囲であろう。
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