我孫子市の古墳(手賀沼北岸の古墳)

手賀沼周辺に所在する古墳の見学コース。「東の鎌倉」と言われた我孫子。
住宅街に点在する古墳と文人墨客の旧宅などを組み合わせると時間のたつのを忘れる。

●コース
access

*自動車利用の場合は駐車できる場所が限られる。

 手賀沼周辺の古墳群の中では北岸の我孫子市内に有力なものがあった。しかし,やむことのない市街地化の波のなかで,多くの古墳が失われていった。根戸から高野山の地区にかけては前方後円墳6基,円墳約60基,湖北地区には円墳ばかり約30基があった。実に100基に近い古墳が確認されていたが,現存するのは水神山古墳,日立精機2号墳などと数少ない。

日立精機2号墳

我孫子駅北口から左へ線路沿いに200m進み、JRをくぐる道を渡り、坂道(国道356号)を進むと、右側が日立精機の正門。30m先の右側に工場の金網越しに「日立精機2号墳」が見えてくる。2号墳は全長30mの前方後円墳。横穴式石室。工場敷地内の1号墳は,全長45mの前方後方墳か。横穴式石室。(P. WC. なし)

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日立精機2号墳は盗掘された跡と思われるくぼみがパックリと南側に向かってある。何かとても痛々しい。マウンドが緩やかな感じなので,何の気なしに通りかかると、工場の中に作られた緑地のようである。日立精機の敷地内には、我孫子周辺では最終末期の古墳といわれている日立精機1号墳もあって庶務課(0471-84-1111代)に予め予約すれば、守衛さんが敷地内に入れてくれる。


日立精機2号墳 前方後円墳(前方後方墳?) ◆7世紀初頭◆所在地 我孫子市根戸堀尻◆全長30m◆方位 N-75゜-W◆前方部幅23m 高さ2.0m◆後円部径18m 高さ2.5m◆埋葬施設 横穴式石室(両袖型)長さ3.5m 玄室長2.25m 高さ2.15m 幅1.6m 軟質砂岩◆出土品 土師器坏(鬼高式),須恵器,坏蓋,坏身◆備考 1961年調査



日立
日立精機2号墳墳丘実測図

日立
日立精機2号墳石室

根戸船戸古墳

  駅から進行方向の先、左側すぐのJR常磐線歩道橋を渡って、我孫子第四小学校の外周道路、白山中学校のわきを通り,手賀沼方向へ約500m。「パシフィック我孫子グリーンタウン」なら南西隣接地。「船戸の森」に出たらその北側。ここが根戸古墳公園。この公園の中に根戸船戸2号墳が保存されている。根戸船戸古墳群には前方後円墳4基、円墳2基があった。現在は、全長33mの前方後円墳の1号墳と全長22mの前方後円墳の2号墳が残るのみ。2号墳の埋葬施設は横穴式石室。(P. WC. なし)

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 何も知らなければ「どうして公園の中に、子供の遊び場にもなりそうもない、こんな小山があるのかな」と思ってしまうかも。時の流れの中でやむをえないこととはいえ、次第に姿を消してしまったことは,やはり残念ですね。


根戸船戸1号墳 前方後円墳◆所在地 我孫子市白山3丁目◆全長33m◆方位 ほぼW◆前方部幅21m 高さ3m◆後円部径14m 高さ3m◆埋葬施設 不明◆出土品 不明
根戸船戸2号墳 前方後円墳◆所在地 我孫子市白山3丁目◆全長22m◆方位 ほぼE◆前方部幅14m 高さ1.6m◆後円部径12m 高さ1.6m◆埋葬施設 横穴式石室◆出土品 須恵器


 

根戸
根戸船戸古墳


根戸
根戸古墳公園

水神山古墳

 香取神社古墳のすぐわき。香取神社の石段を上がってすぐの崖っぷちの道を進み、道の右側に初めて現れた民家(道が左にカーブしている所)の軒先に、水神山古墳がある。
香取神社からは約100mだが、目の前まで接近しても、なかなかたどり着けない。形の整った全長69mの前方後円墳、手賀沼周辺では最大の古墳である。5世紀代に属し、我孫子古墳群では最古期に位置付けられる。(P. WC. なし)
なお、市役所近くの市民会館内には、我孫子市内から出土した考古遺物が展示されている。
見学後は、我孫子市役所に戻り、阪東バスで我孫子駅へ。あるいは、水の館、鳥の博物館見学や我孫子の街を散策するのもよい。

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崖側を除いて、住宅に囲まれているようなポジションなので、前方部に回り込まないと全景を見渡せないが,しっかりと形の残っている古墳。後円部わきに説明板がある。古墳の後円部には民家の軒先をかすめるようにして、崖が深く切込んでいる所を通らなければたどり着けない。雨天時や雨天後の見学は、前方部に回り込むだけで我慢をするか、避けた方がよい。
ガラス玉が多く出土していたり、鉄針の出土も珍しく、埋葬された人物は女性の可能性もあるとか。


水神山古墳 前方後円墳◆5世紀◆所在地 我孫子市高野山舟戸台440◆全長69m◆方位 E◆前方部幅33m 高さ3m◆後円部径36m 高さ5m◆埋葬施設 粘土槨(割竹形木棺)長さ5.13m 西端幅0.7m 中央幅0.65m(後円部墳頂)◆出土品 滑石管玉1,ガラス管玉1,ガラス小玉280,刀子2,針,土師器,壷,坩◆備考 1965年調査


 

水神山
水神山古墳

水神山古墳墳丘実測図
水神山古墳墳丘実測図

 

寄り道

●手賀沼公園 ボート,釣り,湖畔の散策などが楽しめる。(P. WC. あり,駐車場は狭いので,朝の早い時間以外はすぐに満杯になる。特に,休日)

●水の館(手賀沼親水広場) 手賀沼をテーマとした施設で,公園もある。0471−84−0555,月曜休館,無料。(P. WC. あり)

水の館
水の館

●我孫子市鳥の博物館(山階鳥類研究所) 鳥に関する博物館で,標本の展示が圧巻。0471−85−2212,月曜休館,300円。(P. WC. あり)

我孫子市鳥の博物館
我孫子市鳥の博物館

味どころ

●駅の周辺および手賀沼公園から手賀大橋の交差点までの間に,ファミリーレストラン,食堂,お弁当屋などがある。

おみやげ

●安井家 創業60年佃煮屋の老舗。ウナギの大和煮は我孫子市のふるさと産品の推奨品。我孫子駅から約5分。0471−82−1225,水曜休。

見どころ

●根戸城跡 自動車での見学は無理。JR北柏駅より徒歩がベスト。北柏駅南口から手賀沼に向かって歩く。100m先の交差点を左折する。300mぐらい進むと細い道とのT字路に出る。そこを右折すると30mほど先で道路が二またに分かれている。左側の舗装されていない道を進む。150mぐらい先の台地の端(急な下り坂になりかかる所)で,道からそれて台地の先端に向かって歩くと金塚古墳,根戸城跡がある。規模は小さいが,空堀や土塁がよく残っている。
●金塚古墳 根戸城跡内にある。我孫子古墳群の最西端にある直径20mほどの円墳。埴輪をもち,短甲など数多くの副葬品が出土した。

金塚古墳 円墳◆5世紀後半◆所在地 我孫子市根戸荒追1341◆直径20m 高さ2m◆埋葬施設 木棺直葬(墳頂部)◆出土品 勾玉紋鏡,短甲,鉄鏃,鉄矛,石枕,立花,埴輪(円筒,朝顔,水鳥)

●日秀西遺跡 県立湖北高校建設に伴う調査によって倉庫と考えられる掘立柱建物群が整然と発見されるとともに,日本最初の鋳造貨幣である銀製の和同開珎が出土した。
 これらのことから,この遺跡は相馬郡役所の倉(正倉)の施設であることが分かり,高校敷地内に一部が保存されている。県指定史跡。

散策コース

 手賀沼を望む高台には,明治から大正期にかけて多くの文人墨客が住み,「東の鎌倉」と呼ばれた。志賀直哉は,柳宗悦,兼子夫妻の勧誘により,大正4年から12年まで我孫子の弁天山に住んで「和解」,「小僧の神様」,「城の崎にて」などの作品を書いたという。当時の庭木が残る旧宅には,茶室風の書斎が復元されている。直哉の友,武者小路実篤も大正5年船戸に移り住み,ここでの生活は「或る男」に詳しい。
 朝日新聞の「天声人語」を造語命名したと言われるジャーナリスト,杉村楚人冠も大正13年に移り住み,「湖畔吟社」を創設して地元の俳句の指導も行った。
 柳兼子の叔父,嘉納治五郎の別邸と農園が
あったことによって多くの文人,墨客が集まった。

志賀直哉邸跡
志賀直哉邸跡

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