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かんぽう武射 No.8 ◎平成6年2月20日発行

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芝山町の縄文時代中期・後期

埴輪からかいま見た古代 ―犬―

■芝山町の縄文時代中期・後期
友の会会員 西山太郎

◇海進と海退◇
 今からおよそ6,000年前、繩文時代前期には温暖な気候もピークを迎え、海水面が10m 近く上昇し、海岸線が陸地の奥深く入り込んでいました。これを「繩文海進」と呼んでいます。栗山川にも海水が入り込んで大きな入江を形作っていました。しかし、およそ5,000年前の繩文時代中期になると、気候が冷涼化し海岸線が現在の海岸に向かって徐々に後退し始めました。これを「繩文海退」と呼んでいます。
 海退にともなって、あちこちに海が取り残され、干潟や湖ができて、淡水化が進みました。この時期は繩文時代後期で、今からおよそ4,000年前のことです。繩文時代晩期(およそ3,000年前)にはこの傾向がさらに進み、海水にすんでいた魚や貝も次第に姿を消して、淡水に生きる生物の世界となりました。このような海の様子は貝塚から知ることができます。

◇貝塚の形成◇
 貝塚は繩文人が海で採取し、調理して食べた貝や魚などを捨てた場所と考えられています。東京湾沿岸地域の千葉市加曽利貝塚のような径100mを超す大規模な貝塚については、貝のむき身生産の工場とする考えもあります。栗山川流域の貝塚は小規模であり、斜面に形成されたものが多く、貝を捨てた場所と考えるのが、正解でしょう。
 おもな貝塚は、芝山町と多古町に広がる後期から晩期の境貝塚、中期から晩期の横芝町山武姥山貝塚、中期から後期の横芝町中台貝塚・牛熊貝塚・鴻の巣貝塚などです。このような貝塚が芝山町や横芝町などにあることは、とりもなおさず当時魚や貝を手にいれた海が近くにあったことを示しています。境貝塚の発掘調査では、スズキ・クロダイやコイ・ウナギなど魚類、カイツブリ・カモなど鳥類、イノシシ・イヌ・シカなど哺乳類、ハマグリ・ダンベイキサゴなど貝類が出土しています。これらから繩文人の食生活を知ることができます。

◇低地の遺跡◇
 繩文人は魚貝類を手に入れるために湖に舟を乗り出しました。貝塚を残した台地上にあるムラを拠点として、時には海岸にキャンプを張って魚や貝をとったのかも知れません。丸木舟は今の自動車の役割を果たしていたのです。
 丸木舟は泥の中にあった場合にだけ完全な形で残ります。栗山川流域を中心とする九十九里平野からは、丸木舟が約75叟発見されています。県内で全部でおよそ95叟ですから、その多さが分かります。海退に伴い干潟や湖が発達し、沼が作られたのです。「多古米」と呼ばれる旨い米ができるのはこのためです。
 なお、芝山町の高谷川に沿った低地からは、丸木舟や擢などが繩文時代後期の加曽利B式土器とともに出土しています。また、晩期と考えられる漆塗彩櫛(※1)も出土しています。

◇台地の遺跡◇
 このような低地の遺跡に対比できる遺跡として、台地に所在する遺跡があります。拠点となったムラもありました。境貝塚もその一つですが、芝山町役場の近くにある小池台遺跡は住居の跡や繩文後期から晩期の土器の他に、土偶・双口土器・耳飾りなどが出土しています。木戸川流域のセンター的役割を果たした遺跡と考えられます。これは境貝塚とは高谷川を挾んで位置しています。お互いに行き来があったのでしょうか。芝山町にはこのような繩文時代中期から後期の遺跡が約45か所ありますが、畑に落ちている土器や石鏃など遺物の1点、1点が繩文人のくらしを物語っています。


早期末〜前期中葉の海岸想定線
(江坂 昭和40年を一部改変 千葉県文化財センター刊『房総考古学ライブラリー3』繩文時代(2)より)

※1

■埴輪からかいま見た古代

―犬―

 空前のペットブームである。猫の額ほどの土地で、ウサギ小屋ほどの小さな家に住んで。これも「豊かさ」と現代の複雑な人間諸関係の反映であろうか。
 アフリカのブッシュマン族について調べた結果、とくに訓練した猟犬をつれた一人の男が、数家族に必要な肉の75%を獲得したのにたいして、イヌなしでは、のこる25%を、6人がかりでやっと得たという。(『ジュニア日本の歴史』1 P56 小学館発行)
 犬は、世界中のどこでも最も古くから飼われていた役畜・家畜であった。日本でも犬は繩文時代から人間にとっては大切な動物であったらしく、千葉県においても船橋市高根木戸貝塚から、ていねいに埋葬された3匹の犬の骨が発掘されている。
 したがって、埴輪にも犬を型どった物が早い時期からあるが、そのほとんどが猪と対で猟の場を表したと思われる配置で、しかも動きのある埴輪である事は興味深い事である。
 群馬県保渡田VII遺跡からは、体に矢が刺さり、血を流している猪と、腰に猪の獲物を提げ、弓を引き絞る狩人と、2匹の犬がセットとして発見されているし、大阪府高槻市昼神車塚古墳は、猪と犬の埴輪列を復元した事で有名である。
 千葉県においては、横芝町中台の殿塚古墳で犬が、栄町竜角寺101号古墳から2匹の犬と1頭の猪が出土している。
 犬と猪の狩猟の場面を表す事が埴輪祭祀にとってどんな意味をもつのかに関しては、不明と言わざるを得ないが、古墳に埋葬された支配者が管理し、治めた農地を害獣から守る事は、首長にとって最重要事項であった事は間違いない。

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