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■芝山町西ノ台遺跡採集石器群の再検討
山武郡市文化財センター 調査課長 田村 隆
西ノ台遺跡採集の石器群については既に簡単に紹介する機会があったが(千葉県文化財センター「房総考古学ライブラリー1」:195−199)、資料紹介後10年余りを経、これと類似した石器群の報告例も増加した。当時と比較すると、まさに隔世の観があるが、この機会に改めてその性格と問題点を指摘しておくことも、あるいは有意義な試みであるかもしれない。
パターンの抽出
西ノ台遺跡石器群についてはかつて以下の点を重要な特徴と考えた。
(1)石器石材は良質の珪質頁岩である
(2)石刃技法を基調としている
(3)ナイフ形石器、彫器、削器などを含む
(4)産出層準は立川ローム層VI層の前後と推定される
この後これらの特徴を具備した石器群が東部関東地方各地から検出されるようになり、
(5)石刃を石核に転化し、小型の石刃状剥片(※1)を組織的に生産する手法が少なからず認められる
という特徴が新田浩三によって追加され、また、
(6)珪質頁岩を主材とする石器群と、信州産黒曜石を主材とする石刃石器群が同一地域内に並存していることも判明した。更に、
(7)珪質頁岩や黒曜石以外の石材も使用されているが、それらの消費ははなはだ便宜的な性格が強い
ことも忘れてはならない特徴である。
現在までの知見によれば、石器群におけるこうした特徴は、立川ローム層第2黒色帯上部から顕在化し、第1黒色帯ではまた別な様相に変容しているので、AT降灰前後、最終氷期の寒冷化が徐々に開始される頃の地域的特徴と考えることができる。こうした現象を文化史的観点から理解する研究者も多いが、その狭隘な視点からすべての事象をシステマチックに解釈することは不可能である。全く別の視点、全く従来とは異なったパラダイムからの考察が要求される所以である。
ニュー・モデルの呈示
民族誌によれば、狩猟・採集民は居住基地や兵站基地の移動を繰り返し、移動した先々で道具の原材の補給を行う(移動生活に重装備は不適切である)。石器石材の補給もこれと同様であるので、互酬性による集団間の限定的な交換行為の存在を考慮したとしても、先に呈示したパターンは、東部関東?層段階の諸集団が黒曜石や、珪質頁岩の原産地との往還を繰り返していたことを示唆するものであろう。この往還の過程で形成された遺跡の一つが西ノ台遺跡であったのである。
次に、使用石材である黒曜石や珪質頁岩を詳細に観察してみると、黒曜石には非常に良質の信州系のものが厳選され、珪質頁岩の殆ど全ては東北地方日本海側に分布する女川層起源のものが使用されている。女川層の珪質頁岩は東北地方に顕著な石刃石器群の不可欠の前提条件であった。良好な素材を得てはじめて技術は効率的に運用される。また、素材に応じて特有の技術が適用される。狩猟・採集行動に伴う、こうした石材原産地への周期的な接近と、補給行動・石器製作によって、多くの石刃と石刃素材の石器が生産される。つまり、石器群の形成は文化的な系統の問題ではなく、集団の地域的生態適応のプロセスというコンテクストの内部での理解こそが肝要なのである。
ところで、石材原産地と下総台地との距離は信州で約200km、羽前では300km以上にも達し、原産地周辺では潤沢であった石材も、やがて折り返し点である下総台地に到達する頃には、はなはだ心許ない状況に陥るに相違ない。良質の石材の不足は、キャッシング戦略(特定地点への資源の隠匿)や、手近の粗悪石材の代用によってもホテン(※2)可能であるが、第三の戦略が知られている。それは、石刃を石核に転化し経済的に石材を活用し、絞りとることである。これをリダクション戦略と呼ぶ。
こうした居住・技術面での戦略的シフトの背景には、最終氷期最寒冷期に向かう時期の生態系のシフトが潜在していたように思われる。
※1 ※2
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■埴輪からかいま見た古代
―鳥―
古代には、死は肉体と魂の遊離であると考え、死者の魂を呼び戻して再生を願った。この再生を願う一連の儀式を殯(もがり)と呼び、それでも蘇生しない時にはじめて死を確認し、古墳に埋葬したものと思われる。
この時に魂を運ぶ動物が『鳥』であると信じられていたようである。
『鳥』は、古事記・日本書記に天の岩戸伝説(太陽を蘇らせるために長鳴鳥を鳴かせた。)や日本武尊の能煩野(のぼの)白鳥伝説などの記述に見られるように、古くから霊鳥として現れ、葬送儀礼・復活儀礼に関わっていたと思われる。
また、鳥形埴輪、特に鶏埴輸は、畿内を中心に古墳前期の早い段階から多く製作されているが、関東地方でも中期から後期にかけて盛んに製作された。
下に掲載した芝山町にわとり塚古墳出土の鳥形埴輪も、やや写実性は欠くものの、鶏であろう。
現在でも、49日までは死者の魂は、家の棟から離れないと言われ、身近な人の死をなかなか認めようとしない我々の基層心理も古墳時代から連綿と千数百年に亘って受け継がれてきたものなのかも知れない。
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