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ものをつくる古代人

●ものをつくる古代人

古墳時代における手工業、生産の技術は、自由な交易というよりも、おもに畿内大和政権による技術と技術者の政治的な編成から生み出されたと思われます。古墳時代は、水田の面積が前の弥生時代に比べると広がった時代です。それを可能にしたのは、はじめて日本列島を統一した大和朝廷の国家の誕生によって、中国や朝鮮半島から進んだ文化や技術が伝わってきたためです。

●土器をつくる

土器は、おもに食器や貯蔵具として日常的に、使われる器であったため、他の遺物に比べると極めて多量に出土します。又、土器はこわれやすいものの、容易に新しい製品を作ることができるため、その種類や製作技法の交代の速度は早く、他の材質の遺物に比べてその変化をよく読みとることができます。このようなことから土器は形や種類、模様の付け方・制作技術、セットの変化などを比較することによって、地域差および時間の変化を示す指標、単位として時代順に並べることができ、その土器と共に出土する土器以外の遺物、遺構、遺跡がいつの頃のものか決める年代をはかるものさしとして用いることができます。

古墳時代につくられた土器の製作技法としては「土師器」や「須恵器」があります。「土師器」は、縄文土器、弥生土器と同じく低い温度で野焼きされた赤褐色ないし黄褐色をした土器です。「須恵器」は、古墳時代5世紀に朝鮮半島から伝わった陶質土器の製作技法をもとに作られた土器です。ロクロという回転台を使って作られ、登り窯によって1100度以上の高温で焼かれます。水を入れてももらず、大変貴重品で、お祭りのためや儀式用の土器として使われました。非常にかたく、灰色をした焼き物ですが、ガラス質のうわぐすりを掛け、模様を書くと今私たちが使っている茶碗やお皿と同じで、瀬戸物の元祖です。
いずれも火をコントロ−ルする技術は、その後の生産活動に大きな影響を与えました。

●玉製品をつくる

旧香取海の沿岸からは、玉をつくったと思われる玉作り工房の跡が他の地域よりたくさん発見されています。また、玉造という地名も沿岸に多く残っています。古墳から出る石枕という滑石製の枕も、この香取海沿いに集中しています。石の原産地から遠く離れたこの地域に船で運んだのでしょう。玉の穴は、片側からあけるのと両側からあける方法がありますが、穴を先にあけ、その後、ていねいに砥石などで磨きました。

●鉄製品をつくる

鉄器が伝わったのは弥生時代のことですが、農機具や木工具、武具として広く一般に使われるようになったのは古墳時代になってからです。鉄器は石器や木器にくらべて、強く、じょうぶで技術さえ習得すれば大量生産も容易なので、土木工事や農耕などの仕事の能率は非常に向上しました。鉄をつくるためには、砂鉄など原料の採掘、製錬、製錬鍛冶、鍛冶、鋳造など異なった5工程が必要です。

普段、私たちが使っている鉄の道具や焼き物、織物の技術や住居の住み方などは、古墳時代に大陸から伝わったり、古墳時代人が産み出したものがたくさんあったことがわかったかの?

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