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古墳時代の食物と食事

●古墳時代の米

古墳時代は、米作りの為の水田の面積が前の弥生時代に比べると非常に大きくなった時代です。縄文時代からの狩りと採集のほかに、稲を作ることが普及し、主食が木の実からお米をはじめとする穀物になると、生活は安定し、あまった米を貯えることもできるようになります。また米つくりのためには、知識や統率力のあるリーダーのもとに家族をこえた地域の集団(共同体)で働くことが必要でした。それを可能にしたのは、はじめて日本列島を統一した大和朝廷の国家の誕生によって、中国や朝鮮半島から進んだ文化や技術が伝わってきたからなのです。
弥生時代になると古代人も私たちと同じように、米に水を加えて玄米を炊いていたと考えられます。古墳時代には、かまどの強い火で「こしき」と下に水をいれた甕をつかって、赤飯のおこわようにお米を蒸して食べていました。土器のにおいがつかなく、おいしくなりました。

●木の実を採る

木の実は、長い間保存することができるため、縄文時代には、もっとも多く食べられた食料の一つでした。稲作が広まっても、なお、食料としての重要性は変わりませんでした。
栗やシイの実などの一部を除いては、そのままではしぶくて、食べられません。そのため、水の中に長い間漬けておいたり、灰をまぜて木の実を煮て、渋味をとるための「アクヌキ」が必要でした。それを粉にして焼くと、今のクッキーのようなものになります。

●狩りをする

稲作が生活の中心となると、漁業や狩りの役割は小さくなっていきましたが、食料の不足を補ったり、田畑を荒らす獣を捕らえるのは重要な仕事でした。数多くのやじり、2mもあるりっぱな弓や猟をしていると思われる犬とイノシシや鷹匠の埴輪から古墳時代の猟のようすがわかります。

●魚を捕る

海や川に近い遺跡から網のおもりに使ったと思われる加工された土器や石が出土します。縄文時代からのヤスや釣りの漁のほか、網による漁などもおこなわれ、小さな丸木舟だけでなく数十人ものれるゴンドラ型の船もあったようです。

●加工食品

(ひしお)とよばれる発酵食品は、弥生時代に中国から伝わったといわれます。高温多湿の日本に合うように穀物や野菜、海草あるいは、魚、肉に塩を加え、それぞれ今でいう穀物から味噌、醤油が、野菜が漬物、魚からは塩辛やしょっつる(魚醤)の原型をつくりました。干物や燻製ばかりだけでなく、さまざまな古代人の工夫をみることができます。

わしらは自然を知り、自然と仲良くしなければ、食料を手に入れる事もできないのじゃ。これらの技術は生きるための必死の知恵なのだぞ。

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